晴天に捧ぐ

 無機質なアラーム音で目が覚める。私はスヌーズを断って、ゆらゆらと起き上がった。スマートフォンのロック画面の上には6:40の文字が浮かび、その数字も眠たげだ。私は大きく伸びをすると、まだ人の形を保ったベッドから降りた。
 あくびをして電気ケトルのスイッチを押す。その間にビスケットの缶詰を開けて、それを適当に摘んだ。テレビからアナウンサーの快活な声が放送されている。その中に人の姿はない。それもそうだ、記録的な豪雨がかれこれ1ヶ月以上降り続いているのだから。その大雨が予測されたのは、それからさらに遡って7日前のことである。しかし、長雨が当たり前になった私たちは特に驚くこともなく、その予報を受け入れ、そして粛々と準備を進めた。どの人も食料を備えて家に篭り、必要な仕事は全て機械に任せた。雨は予報通り7日後から降り始め、それから40日経った今日も雨は降り止まない。私はカーテンの向こうにある真っ黒な空のことを思い、重いため息をついた。そうしてもの思いに耽っていると、電気ケトルが無遠慮に電子音を上げる。ゴトゴトと音を立てて水は沸き立ち、湯気は天井まで登っていった。それは手狭なケトルの中から飛び出したがっているようにも見える。私はもう一度、深くため息をついた。
 インスタントコーヒーが入ったマグカップに熱湯をそそいでかき混ぜる。芳ばしい香りが少しは私を落ち着かせてくれた。番組のマスコットキャラクターは6時55分を知らせると天気コーナーへと移行する。どうせ今日もまた、雨の予報を伝えるのだろう。私はテレビを切るためにリモコンを手に取ろうとした……が、見当たらない。そういえばキッチンの方に持って行ったのだった。立ち上がり、キッチンの方へ向かっている間に液晶には日本地図と等圧線の書かれた絵が映っていた。朗らかなアナウンサーの声は言う。
「40日間日本列島を覆っていた雨雲はようやく去って、今日は全国的に晴れとなるでしょう」
 焦ったような音がして、それがリモコンがシンクに落ちたものだと気付いた。驚きすぎて手から離していたらしい。しかし私はそんなことなど最早どうでも良かった。居ても立っても居られなくなり、窓の方へ駆け寄る。2週間ぶりにカーテンを開ければ、底抜けに明るい空が私を見下ろしていた。窓を開け、急いで濡れたままのサンダルを履く。40日前に繁栄を誇っていた街は水の中に沈み、その水面には青空が映っている。家々はまるで空に浮かぶ舟のようだ。
 2つの碧に挟まれた私は自然と口元が綻ぶ。なんでもない景色のはずであるのに。なんだか私は何かを叫びたくなった。そうだ、こんな時こそ。言うべき言葉を決め、私が息を思いっきり吸えば、雨上がりの湿っぽい空気と一緒に朝の匂いが肺に満ちていく。そして私は底のない、透き通った青空に向かって叫んだ。
「おはよう!」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です